プロレスの歴史と時代


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by a68fg46ea | 2009-11-19 11:33


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by a68fg46ea | 2009-11-19 11:00


夢を叶えたプロレス・アナウンサー その1

こんな時代だからこそ、一途に夢を追い求め、考え、工夫し、行動した男の言葉を届けたい――。

フリーアナウンサー・清野茂樹。プロレスを誰よりも愛し、古舘伊知郎に憧れ、その実況解説者になることを夢見た幼少時代を経て、現在はFIGHTING TV サムライにて新日本プロレスや総合格闘技イベントDEEPなどの実況を務める、まさに“夢を叶えたアナウンサー”だ。

広島エフエム放送時代には、プロレスのテーマ曲を流す番組を企画し、民放連番組コンクール・ラジオ部門で優秀賞を獲得。さらには新日本プロレスに持ち込んだ企画=会場内でミニFMを利用したプロレスの同時実況は大きな話題となり、後の新日本プロレス“真夏の祭典”G1クライマックスにも採用された。

本来、プロレスの実況解説者とは、各放送局に所属をするアナウンサーが持ち回りとなって担当を務めるため、清野アナの様に自ら能動的に、その道を切り開いたアナウンサーは極めて珍しい。夢を叶えたアナウンサー、その歩んだ道のりを聞いてみた。


――今日は宜しくお願い致します。さっそく清野さんの経歴を聞いていきたいのですが、その前に、まずは先日行われた新日本プロレス東京ドーム大会の率直な感想からお聞かせ下さい。

「ええぇ~、そこからですか?えっと、そうですね(しばし沈黙)。ノアとの対抗戦とかTNAとかいろいろありましたけど、やっぱりIWGPのタイトルマッチの印象が強いですね。前回の(両者の)対戦からして、30分を超える試合になるような気はしていたんですけどその通りでした・・・。

ドームのメインで30分超える試合ってちょっと記憶にないですよね?あとは、武藤さんって、去年はムタで試合して、一昨年はメインで蝶野さんとタッグ組んだり、ここ数年の新日本のドームには欠かせない役割を担っていますね。ただ、テンコジの復活もそうですけど、最近は全日本プロレスが敵なのか味方なのか、わからなくなっているのは正直残念です」

――清野さんが最も印象に残った試合というのは?

「個人的には、永田裕志-田中将斗がベストでしたね。休憩前の試合でしたが、あの日ドームの客席を瞬間的に最も沸かせたのは、永田さんが腕固めの体勢に入って白眼になった瞬間だと思うんですよね。“おぉ、キター!”っていう感じでドッと沸きましたから。いいか悪いかは別にして、目の動きであれだけの人を沸かせられるというのはスゴイですよね!

ドームのプロレスって、客席からオーロラビジョンを観ようか、それともリングを観ようか迷うことが多いと思うんですけど、あの時ばかりはみんなオーロラビジョンに注目ですからね。ドームという会場をうまく使っていると言うか・・・。

それに永田さんは、去年はカート・アングルと、一昨年は鈴木みのると、その前は村上和成と、実はメインじゃないけど、毎年シングルで名勝負を連発している“真・ドーム男”ですよね」

――第一回目からドーム興行を全て観てこられた清野さんですが、過去のドーム大会と比べて、今年の“1.4”はどのように変わってきたと感じますか?

「ま、僕にとって新日本のドーム大会と言えば、やっぱり猪木さんなんですよ。1回目はメインイベントでショータ・チョチョシビリと試合もしたし、“イチ、ニ、サン、ダーッ!”が生まれたのは2回目のドームだった。国会議員でリングを離れていた時も立会人ということで会場には来て必ず挨拶してましたし、とにかく僕の場合は“ドームでプロレス観てダーッをやんなきゃ!”って感じだったんですよ。

それであの大会場がひとつになれるという。でも、そんな猪木さんも2006年の1.4を最後に姿を見せていないわけで、猪木さん抜きのドーム、何というか“猪木王国”じゃなくてオールキャストで勝負する“レッスルキングダム”という王国が確立されて来たのかな、という気はしています」
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by a68fg46ea | 2009-10-27 10:57


両親が最悪。そんなにお金が欲しいのか。 実は私が最悪です。

両親が最悪。そんなにお金が欲しいのか。
親から家に6万入れろと言われました。大卒の新卒で、給料は18万ぐらいしかありません。私の友人の親は家にお金を入れなくていいとか1万円でいいとか優しいのに、私の両親は6万入れないと食事も食べさせないし洗濯もしないと言われました。
ひどすぎます。
文句を言うと、奨学金ももらわずに大学行かせてやったとか中高私立でお金がかかったとか
逆切れされます。
家に6万円入れるとか、考えられなくないですか?
6万あったら毎月海外旅行行けますよね?
家に入れるお金ってせめて3万ぐらいじゃないですか?
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by a68fg46ea | 2009-10-20 12:22


キン肉祭

5月29日(金)は記念日制定後、3度目の“キン肉マンの日”(詳しくはコチラから)。昨年の1度目はキン肉マン映画祭が、2度目はすき家&なか卯を運営するゼンショーとのコラボ会見がそれぞれ行われ、29周年から30周年へ、肉イヤーも行き着くところまで行き着き、3度目となる今回の記念日では、遂にプロレス・イベント=『キン肉マニア2009』が開催されることになった。

キン肉マン映画祭で、ゆでたまご嶋田先生から発せられた「キン肉マンを実際のリングに上げたい」という発言は、リップサービスでもなんでもなく、先生の悲願であり、本心だ。故に、周辺関係者は、嶋田先生からの予期せぬ発言に慌てふためき、以後“リアル・キン肉マン”の話題に触れることはタブー(というか、“できれば避けたい”的なニュアンス)として流された時期もあった。

ただ、嶋田先生は、本当に純粋無垢な人なのだ。

昨年から、「キン肉マンを好きな人だけを集めた、恩返しイベントをやりたい」という話しは何度も聞いていたし、実際に動かれていたこともあった。

その後の経緯は分からないが、察するに、ここに色んなアイデアが加わり、『キン肉マニア』に発展していったのだろう。関係者でさえ、当初は対応できずに戸惑いをみせた“リアル・キン肉マン”構想を具現化すべく、その水面下では懸命な準備を進められていたのだ。

それだけではない。

それこそ、「業界を活性化したい」といいながらも、結局は何も考えず、動かず、それでいて、自己の利益ばかりを主張するレスラー&関係者が数多く存在する業界において、昨年末の『K-1 Dynamite!!』に出場したキン肉万太郎のように、周囲の反対をおし切ってでも盛り上げ役を買って出る嶋田先生が持つ“業界に恩返しをしたい”という想い――。今回も同様に、キン肉マンをきっかけに、プロレスを観る人がいる。プロレスの楽しさを感じてくれる人がいる。プロレスを好きになってくれる人がいる――。

キン肉マンのイベントながらも、その裏テーマは(公言していたが)“プロレスへの還元”でもあったという。


グッズ売場では、KYORAKU“ぱちんこキン肉マン”のお試しコーナーもあり、ミートくんの格好をした女の子たちがファンを出迎えた
迎えた“肉マニア”当日は、平日昼間にも関わらず、会場前に大蛇の列が作られた。

実はこれ、16時から販売されるグッズ目当てのファンが1時間前から列を成し、その数は軽く300名はいたように思う。

これには驚いた。

驚いたというか、キン肉マンの存在を、少なからず見くびっていたのかもしれない。

よく集客が悪いイベントにおいて、関係者が「まあ、平日だから仕方ない」と言い訳していることを耳にすることはあったが、ホントに求心力を持ったイベントにはまず関係ない話しであり、ここに改めてキン肉マンが持つ影響力の大きさを痛感することにもなった。

“肉マニア”をプロレスイベントとカテゴライズするなら、未来永劫、2度とこのようなプロレスイベントは生まれないだろう。グッズの購入にはチケットを見せる必要があったので、グッズだけを購入して帰るというファンは、“基本”いなかったわけで、(グッズだけを目当てにやってくるファンがいるというのもすごいことなのだが)振り返っても、瞬間的にグッズが売り切れたプロレス・イベントって、90年4月の“日米レッスルマニア”くらいしか思い浮かばない。
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by a68fg46ea | 2009-10-17 15:24


AllAboutプロレスコーナーの最後に――

小学校も高学年になってくると、親友宅では、彼がレンタルビデオで借りてくるアメリカのプロレスを二人で毎週観るようになっていた。

プロレスには、ごく自然にはまった。

幼稚園の頃からキン肉マンが大好きで、自由帳にはキン肉マンばかりを描き、ゲームやキンケシでも遊んでいたのだから、リアルのプロレスに対しても免疫はあったのだろう。

初めてみたプロレスビデオのタイトルは「レッスルマニア4」だった。

なんとなく名前を知っていたハルク・ホーガンが、悪者軍団を蹴散らし、綺麗なマネージャーを連れたどこか脇役っぽい筋肉隆々の男のトーナメント優勝をサポートする――。

勧善懲悪な世界に見事に魅せられた自分は、以後、プロレス番組を追いかけるようになり、少ないお小遣いをはたいては週刊プロレスを買うようになった。

運よく、その翌年にはプロレス観戦の機会がやってきた。親父に貰ったチケットは、90年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットだった。

以降、24時間365日、プロレスのことばかりを考えた中学高校時代の6年間。当時、新日本プロレス本社の傍で小さな旅行代理店を営んでいた親父は、たびたび新日から招待券を貰ってきてくれつつ、持てる小遣いもその殆んどをプロレスへと費やした。

好んで観ていたのは、WWF(WWE)はもちろん、新日本の三銃士&ジュニア戦線や全日本では超世代軍から四天王プロレスが中心だったと思う。一言で言えば、(プロレス的には死語でもある)超メジャー志向だったのだ。

高校に入ると転機が訪れた。同級生に自分とは全く異なるタイプのプロレスファンが居た。

ヤツはインディー大好きで、ことあるごとに自分のプロレス観を否定し、反メジャー志向のような反骨心を、なぜか自分にぶつけてきては罵られ続けた。今考えてもわけが分からない。

自分はグラウンドの攻防があまり好きではなかった。語弊があるかもしれないが、いい試合に関しては否応なしに最初から最後まで惹き込まれるのは当たり前。でも、全てがいい試合である筈もなく、退屈な試合におけるグラウンドの攻防はやっぱり退屈なのだから仕方がない。

だが、ヤツはそんな自分の姿勢もこっぴどく非難した。自分はヤツが言うところの“どんな試合でも目を凝らしてみなければならない”的な考えがムカついてしょうがなかった。

ただ、所詮は高校生。他に一緒にプロレスを観る友達なんている筈もなく、結局は何度もヤツとプロレスを観に行くわけだ。

市民体育館を借りて、マットでリングを作っては本格的なプロレスごっこも沢山やった。

自分達で、ビデオを回して、音楽をかけて――。

親友との試合はうまく噛み合う。そりゃそうだ、小学生の頃から何百回と戦ってる(?)。だが、当然、ヤツとの試合はちょっと燃えた。結果を決めてはいないから、互いにいくら技を掛け合っても、2.9で返す。四天王プロレスもビックリのロングマッチが行われ、集まった他の“ごっこ仲間たち”は毎回退屈そうにしていた。

ムキになってヤツの急所攻撃を無視したこともあった。前述した通り、自分はメジャー団体が好きで、ヤツはインディー好き。自分がどこぞやのプロレスショップでレガースを買って着用すれば、ヤツはブリーフを履いてくる。妙なところで地味な意地の張り合いは続いていた。

結局はヤツの影響なのだが、高校生になってからは数え切れないほどの団体を観て回ったし、大学に入った頃には、ヤツを介して一人のプロレスラーと知り合うことにもなった。新日本プロレス学校出身で、W★INGの練習生からSGPやターザン後藤一派といった団体を渡り歩いてきた渡辺宏志(以下、ナベさん)だ。

ナベさんは、典型的な昭和のレスラーで、周りの流れに逆行し、クラシカルなスタイルのプロレスを貫いた。西村修が“無我”でフューチャーさせるもっと前の話しだ。

ある頃から、ナベさんは月に1~2度、プロレスを教えてくれるようになった。プロレスといっても、レスリングのタックルや柔道の押さえ込み、プッシュアップや腹筋といった筋トレだったが、ヘッドロックや簡単な関節技も習うことができた。

ナベさんが出場する大会は、SGPや相模原時代のターザン後藤一派、春日部インディーズアリーナで行われる興行、栃木のイーグルプロモーションに浜松にあったパンクラチオンといったいわゆる“ドインディー”の興行だったが、足しげく応援に通った。この頃には、男女問わず、日本にある殆んどの団体を生で観戦していたので網羅する幅だけは誰にも負けない自信があった。と自負している。

とにもかくにも、初めて身近にできたプロレスラーの知り合いに心は躍っていたのだ。
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by a68fg46ea | 2009-10-01 14:05

    

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